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AHA専門職行動基準書 (2019年改定版)

(訳者より)この文書は、アメリカ歴史学会による専門職行動基準書(Statement on Standards of Professional Conduct, https://www.historians.org/jobs-and-professional-development/statements-standards-and-guidelines-of-the-discipline/statement-on-standards-of-professional-conduct)(2019年6月改訂版)の翻訳版です。原文の著作権はアメリカ歴史学会にあります。
翻訳作業は、JSPS科学研究費補助金特別推進研究「地域歴史資料学を機軸とした災害列島における地域存続のための地域歴史⽂化の創成」のプロジェクトの下で、分野・ポジションにかかわらず、地域に関わる幅広い歴史学の実践を各々がインテグリティを持って行えるように、明示し共有された実践可能な規範が構築されることを期待し、その参考とするために行われました。
インテグリティ(integrity)は、辞書では「誠実で、変えることを拒むような強い道徳規範を持っている状態」と説明されています(https://dictionary.cambridge.org/dictionary/english/integrity)。「誠実さ」というのが最も近い訳ですが、研究公正(research integrity, academic integrity)や、研究における全体の一貫性(資料へのアクセス担保なども含む)、研究上の議論の振る舞いなども含み込んだ、広い意味での誠実な行動を含み込んだ概念として扱われます。日本語で正確にあてはまる言葉がないと判断したため、この翻訳では、そのまま「インテグリティ」と訳しました。
Research Integrityについては、「研究公正」として、JSTがポータルサイトを作っています(https://www.jst.go.jp/kousei_p/)。

翻訳を担当したのは国立歴史民俗博物館の川邊咲子、亀田尭宙、後藤真です。(2021年3月12日公開)

  1. 歴史の専門職
  2. 歴史家が共有する価値観
  3. 学問的体系
  4. 剽窃
  5. 指導
  6. 一般の場での歴史
  7. 雇用
  8. 名声と信頼
  9. 追加のガイダンス

(1987年5月採択の旧基準書から2005年に全面改訂されました。次の時期に改訂されています:1990年5月、1995年5月、1996年6月、1999年1月・5月、2000年5月、2001年6月、2003年1月、2011年1月、2017年1月、2018年1月・6月、および2019年1月・6月。)

「専門職行動基準書」は、歴史家が米国歴史協会に対して指導やカウンセリングを定期的に求める根拠となっている、歴史学の実践に関するジレンマと懸念について取り扱っています。本基準書 の最も重要なセクションの一部は、歴史家が作業を行う組織上の様々な状況によって異なる業務についての質問を取り上げています。別の部分では、歴史家にとって特に問題となる専門職としての不正行為について取り上げています。また、それ以外の部分では、専門職である歴史家が作業の過程において大切にするように努めている、共有の価値観の中核的なセットを特定することを目指しています。

1. 歴史の専門職

歴史は、人々が過去とその多くの意味を理解しようと求める終わりのないプロセスです。歴史による過去との対話についての制度的および知的な形式は、時間の経過とともに大きく変化してきていますが、対話そのものは、何千年もの間における人類の経験の一部となってきています。私たちは、皆、過去を解釈して説明しています。すなわち、私たちは、皆、歴史を作ることに参加しています。それは、私たち自らと、自身の周りの世界を理解するうえでの最も基本的なツールの1つです。

専門職としての歴史家は、過去に対する人類共通の想いから非常に多くの恩恵を享受しています。歴史学は、一般の人々に対してより親しみやすく、魅力的な分野です。そして、あらゆる背景を持つ人々が過去をどのように解釈するかに対して利害関係を有しており、それは、人々のアイデンティティや世界観の核心をゆさぶるものです。だからこそ、歴史は、一般の場において、こうした情熱や議論を喚起させることができるのです。人々のあらゆる取り組みが優れた歴史を生み出すことができ、実際に生み出しています。専門職としての歴史家がしっかりと肝に銘じておくべきことは、自らが、その分野において決して独占権を有さないことであり、これは弱点ではなく強みであるということです。この分野の開放性は最も魅力的な特徴の1つであり、これによって、常に自らを刷新し、そして、分野への新たな参入を可能にしています。

それでは、専門職としての歴史家と、それ以外の人とを区別する根拠とは何でしょうか。歴史学の専門家であるということは、分野的に規律化された学問的実践として、過去の研究と説明に集団的に従事している歴史家のコミュニティに属しているという自覚によって定義づけられます。

歴史家は非常に幅広い分野で働いています。それは博物館原文では museum。この後の文章でも一貫して museum は博物館と訳している。美術館等も含む概念。、図書館や政府機関であったり、学校や教育機関であったり、会社や非営利団体であったりします。中には、「過去」に関連した職によって主たる生計を立てている人もいれば、他の方法で生活を支えつつ、歴史学を実践している人もいます。しかし、どのような場で仕事をしていても、専門職としての歴史家は、過去についての集合的な理解を豊かにする際に、自らの活動の指針となり、自らの判断に対して情報を提供してくれるような一定の中核的な価値観を共有しています。過去に関して話をするだけでなく、調査研究を実施して評価したり、解釈を立てて評価したり、新たな知識を伝えたり、倫理的なジレンマに対処したりするための共有された価値観が、歴史学の専門的実践を規定しています。

2.歴史家が共有する価値観

歴史家は、批判的な対話(歴史家同士の、広く一般市民との、または、歴史資料との対話)の複雑なプロセスを通じ、私たちの過去についての集合的かつ多様な理解を推し進めようと取り組んできました。こうした対話によって、私たちは、自身の時代と場所における最も見逃しがたい問いに対する答えを求めて先人たちの人生や多様な世界を探求しています。複数の歴史学派や、これまでに過小評価されてきた見解を組み込むことは、私たちの学問と歴史的実践のインテグリティを徹底するうえで非常に重要です。

歴史家は、相互の信頼と尊重なしには、こうした作業を巧みに完遂することはできません。インテグリティをもって自らの仕事を行うことによって、歴史家は、その信頼性に対し名声を得ることができます。それは間違いなく、専門家にとって最も貴重なひとつの財産です。同僚および一般市民の双方から注がれる信頼と尊重は、歴史家が獲得できる最も価値が高く最も手に入れるのが困難なものの1つです。そうした信頼や尊重を脅かす行為はまさに愚かな行いです。

歴史家の間で多くの事柄について相互に意見が異なるにしても、歴史家は、互いの取り組みにおいて何を信頼し、尊重しているのか理解しています。すべての歴史家は、歴史資料のインテグリティを尊重することに重きを置いています。歴史家は、証拠を捏造しません。捏造や不正は、歴史家が過去についての解釈を組み立てるうえで最も基本となる基礎を侵害します。捏造が発見されなかったとしても、捏造した者の歴史に関する主張はおろか、捏造した者の取り組みに依拠するその後の学識すべてが台無しになってしまいます。歴史資料の種類を問わず、それらを偽造、改変、無視、除去、または破壊する行為によって真面目な歴史家たちからの信頼を失うことになります。

私たちは、歴史資料を尊重しますが、歴史家が、一次記録を、常に拡大傾向にある二次文献の組織体を参照に、より広い文脈において分析するにつれ、歴史の解釈は常に進化していくものであることを理解しています。歴史家にとって「記録」とは、概してすべての形式の証拠のことを示します。これは、書面のテキストだけでなく、遺物、画像、動画、統計、口承、建造環境または自然環境、そして、その他の多くのものであって、過去の時代を記したものとして今まで残されてきました。「二次文献」とは、一次記録に含まれる証拠に基づき、そうした過去の時代に関する後の解釈のすべてを指すのが一般的です。一次資料と二次資料との間のこうした区別は、歴史家がつくり出す最も基本的なもののひとつです。これらの間に境界線を引くことは、手間がかかり、想像以上に複雑な作業です。なぜなら、特定の記録が、一次か二次かの判断は、主体がそれについて抱いている問いに大いに依存しているからです。しかしながら、最も基本的なレベルにおいて、歴史学の専門的実践とは、一次資料と二次資料のインテグリティを尊重すると同時に、資料を批判的な吟味にさらし、それらの資料が語る過去・語らない過去について、継続的に行われている学術的そして一般的な場での論争に対し、公平な方法で以て貢献するということなのです。

近現代史についての記録に関しては、デジタル形式で作成され保存される割合が増えてきており、アーキビストや歴史家にとって新たな問題を生じる結果となっています。歴史家は、それらの新たな形式によって示されている課題やチャンスを認識するべきです。

また、歴史上の記録を尊重することは、後世の歴史家が辿れるような明らかな手がかりを残すことにもなります。一次資料や、公表された二次的成果(デジタルか印刷物かを問わず)に対するいかなる変更も留意されるべきです。デジタルで保存された記録が容易に複製されアクセスされることが、手がかりを残す実践をより促進します。しかし、それらの正確な引用がさらに重要となります。だからこそ、文献目録や注釈といった形の(さらには図書館、文書館や博物館などの関連の機関的なリポジトリと連携して)学術的なアパラトゥスアパラトゥス(apparatus):文献目録、備考、博物館の資料目録、データベースなどの形態による歴史研究プロセスの記録の総称。を備えることが、歴史学の専門的実践を行う上で不可欠となります。こうしたアパラトゥスは、多くの点で有益です。それによって、他の歴史家が、主張が構築されるステップを辿ることができ、それらのステップが資料によって正当化されていることを確認することができます。また、適切な装置があれば、読み手側が歴史資料に関わるズレを見つける機会を得ることができ、それによって、所与の解釈に対し疑問を投げかけることにつながるかもしれません。不正な理屈で議論に勝利することより、信頼を得ることが究極的により重要であることを理解しているため、専門的な歴史家は、自らの主張の正確さを他者に理解させることと同じくらい、自らの主張の限界と不確実性を明らかにすることに関心を持っています。最後に、歴史学の各々の取り組みが残す証拠の手がかりは、後に同一の主題に関して後の調査を行う際の主要な出発点となり、それによって、過去ついて問いそれに答えるという我々の集合的な能力に対し非常に重要な貢献を果たすことになる。こうした理由すべてによって、歴史家は、自らが資料を使用し記録する際の正確性について自負しています。自らのアパラトゥスがおろそかなものであればあるだけ、にその取り組みについて他の歴史家から信頼を得ることが難しくなります。

文献目録、備考、博物館の資料目録、データベースおよびその他の形式の学術的なアパラトゥスにおいて証拠が辿れるということは手、歴史の取り組みが依拠する一次資料だけでなく二次資料を記録するためにも重要です。インテグリティをもって歴史学を遂行することは、他の歴史家の成果から自らが恩恵を受けていることに対して謝意を示すことを意味します。他者の成果を模倣して、それを自らのものだと主張することは、剽窃であり、歴史家が忌み嫌う行為です。剽窃は、所与の主張に寄与した二次資料が明らかにされないことによって起こる史料への冒涜行為です。それは一種の不正であって、歴史学という専門性が成り立つために必要な信頼性を裏切るものです。こうした点について、詳しくは、本基準書にて後述します。

「インテグリティをもって歴史学を遂行することは、全く何の視点も持たないということではない」という信念は歴史学という専門性における中核的原則のひとつです(歴史家でない者にとっては直感的に理解されるものではないでしょうが、歴史家の中では、世界的とまではいかずとも19世紀から広く共有され、言われてきたこととして)歴史学のあらゆる所産は、過去について、特定の限定的な見方を表明するものです。歴史家がこうした見解を持つのは、すべての解釈が等しく有効であると考えているからではなく、過去について何も知ることができない、または、事実は問題でないと考えているからでもありません。全く、その逆です。そうした主張が正しいのであれば、歴史学は無意味なものになってしまいます。なぜなら、歴史の最も基本的な前提は、一定の制限の中で、私たちは現在において記憶された痕跡としてのみ存在する過去の世界や先の時代について知り、そこに意味を見出すことができるということであるからです。しかし、私たちの歴史学の分野の性質そのものとして、すべての知識は時間と場所に基づいているということも、すべての解釈は特定の視点を表すものであって、人間の知性ではまったく全知を望むことはできないということも、歴史家は理解しているのです。過去の記録はそれほど断片的であり、絶対的な歴史の知識というものが私たちに与えられることはありません。

さらに、私たちが理解の対象とする様々な人々の過去の人生について、人々は各々異なる見方を持っていて、それらは私たち歴史家の見識とも異なっています。こうした見方を公平に取り扱うということは、ある程度、そうした過去の人々の視点を通して世界を見ようと試みる(完全に成功することはないにしても)ことです。特にこのことが当てはまるのは、過去の人々が互いに反発し論争が起きた場合においてです。なぜなら、彼らの世界についてのいかなる適切な理解も、広い文脈においては反論や競合する視点をどうにかして必ず包含するからです。多様な相反する見方は、歴史学の真実の1つです。誰もが複数のアイデンティティや経験および関心とともに歴史研究に臨んでおり、彼らの過去についての問いや、それに回答するための資料参照はその影響を受けざるを得ません。いかに客観的で普遍的な説明であっても、単独では、過去と現在の中で展開される、この終わりのない創造的な対話に終止符を打つことはできません。

こうした理由から、歴史家はしばしば互いに反論し主張し合います。歴史家同士の激しい意見の相違は、歴史の解釈だけでなく、過去に何が起きたかという基本的な事実についても起こります。このことは、歴史家以外の人々が、歴史家は確固たる事実と周知の必然的な事物について、普遍的に合意を得た説明を構成するものだとイメージしている場合に特に問題となります。しかし、普遍的な合意というものは、歴史家が概して望んでいる状態ではありません。むしろ私たちは、解釈における意見の相違が私たちの専門性を創造的に駆り立てるために不可欠なものであって、実際、それによって私たちの見識が独創性や価値を持つことができるということを、了解しています。

意見の相違と不確実性は私たちの学問分野を豊かにしており、その活力と、学問の発展の源となっています。相互の解釈について競い合うにあたっては、専門的な歴史家は、結果として生じる意見の相違が、新たな質問、新たな主張、および新たな調査の道筋をもたらし、それによって歴史の理解が深まり豊かになると認識しています。こうした非常に重要な見識は、歴史家の専門職としての行動を定める最も重要な共通の価値観をある部分で浮き彫りにするものです。歴史家は、活発な議論を良しとしていますが、同時に、市民的礼儀正しさ原文ではcivility。についても重視しています。歴史家は、何らかの意味を求めて過去を探るとき、自らの見方に依拠します。しかし、彼らはまた、他者の見解をもとにその見方を検討することによって、自らの見方を批判的に審査しています。

歴史家は、互いへの敬意と建設的な批判によって統制された知的な共同体を歓迎します。こうした共同体の顕著な価値はその熟考された言説にあります。それは、多様な視点を保ちつつ歴史家の間で継続的に行われる対話であり、そうした歴史家というのは、相互の関心事を追求することで互いを理解しているものです。そのような言説に責任を持って(異なるアイデアに対する寛容性と公正で誠実な批判とのバランスをとりながら)関わることによって、見識、意見や知識の有意義な交換が可能となります。学術書や論文からソーシャルメディア、直接の対面まで、そうした交換が行われる場であればどこであっても同様です。こうした場合、歴史学の専門的実践に関連する非常に多くの葛藤は、上記の段落で述べてきた中核的な価値観に立ち返ることによって解決することができる、ということを何度でも強調する価値があります。歴史家は、インテグリティをもってその仕事を実践すべきです。歴史家は、史料を尊重するべきです。歴史家は、参考資料を記録すべきです。歴史家は、他の学者の成果から恩恵を受けていることに対して謝意を表すべきです。歴史家は、多様な視点について、それを議論して批判的な審査に晒すときにも、それらの視点を尊重し歓迎するべきです。歴史家は、私たちの協働的な取り組みは、相互の信頼に依拠しているということを忘れないでおくべきです。そして、歴史家は、そうした信頼を決して裏切らないようにするべきです。

3. 学術的体系

学術的体系 — 過去についての情報の発見、交換、解釈および提供 —は、歴史学の専門的実践にとっての基本です。それは、図書館から文書館、博物館、政府機関や民間団体まで幅広い様々な組織の取り扱う範囲にある、歴史上の文書、遺跡、およびその他の資料の収集と保存に依存しています。歴史家は、重要な歴史上の証拠があれば、それがどこに属していようとも、それを保護することに責任を持って関わっています。また、学術的体系は、多くのさまざまなコミュニケーションの経路を通じて歴史の知識を広く伝播させることにも依存しています。そうした経路としては書籍、論文、教室、展示、映画、遺跡、博物館、法律文書、証言等の多くのものがあります。過去に関して自由に情報を交換することは、歴史家にとって大切なことです。

歴史学の実践における専門家としてのインテグリティは、自らの偏見について認識して、それらが導く場所がどこであってもしっかりとした方法と分析に従う準備をすることを求めます。歴史家は、その発見を文書として残すべきであり、インタビューを通じて作成した文書類を含め、その情報源、証拠やデータを利用できるように準備しておくべきです。歴史家は、自らの情報源を誤った形で表示するべきではありません。歴史家は、その発見について、できるだけ正確に報告し、自らの解釈に反する証拠を省いてはなりません。歴史家は、剽窃を行ってはなりません。歴史家は、証拠についての虚偽のまたは誤った使用に反対し、そのような虚偽のまたは誤った使用を無視したり隠蔽する取組みについても反対すべきです。

歴史家は、自らの調査研究に関しての、経済的支援、スポンサーシップ原文では sponsorship。「経済的支援」と並置されているので、ここでは経済的なスポンサーにとどまらず、労務や環境の提供なども含む概念として使われていると思われる。、独自の恩恵(研究資料に対する特別なアクセスを含む)を受領した場合には、謝辞を述べるべきであり、特にそれらの恩恵によって、研究上の発見に対して偏りが生じる可能性がある場合はなおさらです。歴史家は、同僚、学生、研究助手やその他の人々から支援を受けた場合には、常に謝辞を述べるべきであり、共同研究者の功績を適切に示すべきです。

歴史家は、歴史上の記録を保存し、こうした非常に重要なサービスを行う機関を支援するように取り組むべきです。歴史家は、それが可能である限り、文書館、図書館および博物館のコレクションへの、自由で、開かれた、平等で差別のないアクセスを支持します。歴史家は、将来の歴史家にとってのアクセスが損なわれる可能性がある行動を慎重に避けるべきです。歴史家は、国家安全保障、財産権やプライバシーの理由から一部の資料についてのアクセスが制限されることの正当性を認識していますが、適切な場合には常に、不必要な制限に反対することに専門家としての関心を持っています。

歴史家は、場合によっては特定の資料の使用に関する制限的な条件に同意することがあります。ある種の研究、ある形式の雇用や、ある種の技術について(たとえば、オーラルヒストリーに関するインタビューの実施の際)は、その結果として得られる知識を用いて歴史家が行うべきことや行ってはならないことについての約束を伴うことがあります。歴史家は、そうした約束のすべてを守るべきです。歴史家は、自らが専門家として接する依頼主、学生、雇用主やその他の人々について、その秘密を尊重すべきです。しかしながら、歴史学の専門的観点からみると、歴史的記録は、オープンアクセス化され、一般の場で議論されることが好ましく、歴史家はこの実現についてもまた可能な限り努めるべきです。歴史家は、自らの調査研究が開始される前に、秘密保持義務について定めて、研究の内容に影響する可能性のある条件や規則について広く周知すべきです。

4. 剽窃

「剽窃(plagiarism)」という用語は、ラテン語が語源であり、「奪い取る者(plagiarius)」や「盗む(plagiare)」盗むという言葉に由来しています。他の作者の成果物を取り込み、自らの物として提示することは剽窃にあたり、学問倫理への深刻な違反となります。これは、剽窃を行った者の信用性を深刻に損なうものであって、歴史家のキャリアに対して回復不能な損害を与える可能性があります。

そうした剽窃が真実の追及に対して与える損害に加えて、それは、また、原著者の文学的権利原文では literary rights。、および著作権者の財産権に対する侵害ともなりかねません。そのため、発見された場合には、組織的処罰(大学院の退学、昇格の拒否や解雇など)だけでなく、法的措置の対象となることがあります。実際問題として、学者同士の間での剽窃の場合には、裁判に発展することは稀ですが、この理由の一部に、著作権侵害などの法的概念の方が、専門職の行動の指針としている倫理基準よりも狭いということがあります。剽窃の真のペナルティは学者の共同体から忌み嫌われることです。

剽窃には、適切な出典表示を行わずに他の作者の文言をそのまま取り込むものだけでなく、より巧妙な不正使用も含まれます。剽窃には、また、他の者の特徴的で重要な研究成果や解釈について、十分な帰属表示を行わずに、限定的に借用するものが含まれます。もちろん、歴史の知識は、累積的なものであるため、教科書、百科事典の記事、総説や一定の形式の公演など一部の文脈においては、帰属表示の形式、先行研究、引用、その他の形式の帰属表示への依存の許容範囲は、より限定的なモノグラフ(研究論文)において期待されるものとは異なります。知識が広く一般に普及されるにつれて、個人への言及が少なくなります。どれが誰に帰属するかについては、はっきりしなくなっていきます。しかし、教科書においてであっても、歴史家は、専門における共通の理解の一部とはなっていない最近の特徴的な成果や解釈の出所を明示すべきです。同様に、一部の形式の歴史に関する成果物には帰属を明示しないものもありますが(たとえば、映画や展示)、そうした成果物に情報を提供している学問に対して、そのしかるべき功績を示すようにできる限りのことをすべきです。

次に、剽窃は様々な形式があります。最も明白な不正使用は、引用符や引用表示を用いずに他人の言葉を使用するものです。より巧妙な不正使用には、概念、データ、ノートを新たに作成した文章で偽装して流用したり、初期段階のノートで他者の成果物を参照し、その後に、帰属を無視して広範囲に使用したりするものがあります。二次的な成果の出典表示を行わずに、一次資料を吟味しないまま二次的成果から借用することは、同様に不適切です。そうした手口のすべては、他の者の貢献を適切に尊重しない態度を反映するものです。

どのような文脈であっても、剽窃の疑いを避けるための最良の専門的実践は、自らが知的な恩恵を受けたことに対し、常に明示的、徹底的かつ寛大に認めることです。

アマチュアとしてであれ専門家としてであれ、また、学生としてであれ確立された歴史家としてであれ、探究の共同体に参加する者は、皆、不正に対して反対する義務を負っています。こうした義務は、大学院のゼミの教員については、特に重くなります。それらのゼミは学問倫理について若い歴史家の認識を形成するうえで非常に重要です。そのため、大学院の現職教員は、そのゼミを、学問のインテグリティ習得の場原文では workshop。であるようにする機会を模索すべきです。大学院を出た後、全ての歴史家は、用心深い自己批判の精神に主に頼らなければならなくなります。私たちは生涯を通じて、自分の成果物のオリジナリティに関する主張や、それが他人にどのような信用を与えているかについて、問い続けざるを得ません。

剽窃に対する最初の防御策は、剽窃から学者を保護する作業習慣の形成です。剽窃者による標準的な弁護、つまり彼/彼女が慌てて作った不完全なノートによって判断を誤ったという弁護は、粗悪な作業を広く許容する文脈においてのみ許容されるものです。正しいノートを取るための基本的な習慣として各研究者に対して求められていることは、そのままの引用とパラフレーズとの間を厳密に区別することです。

剽窃に対する2つ目の防御策は、組織的で、懲罰的なものです。学者の団体を含む、または、それを代表するあらゆる機関は、その倫理基準を明確にし、それを遵守するための手順を確立する義務を負っています。歴史家を雇用する全ての機関は、そのスタッフのインテグリティと名声を維持するという、特に重要な責任を負っています。これは、教育機関はもちろんのこと、それと同様に、政府機関、企業、出版社、博物館や図書館などの公共機関にも当てはまります。通常、剽窃の告発に対して迅速かつ公正に調査を行い、その告発が裏付けられた場合には適切な制裁措置を発動することが期待されているのが、これら歴史家を雇用している機関です。学問上の不正行為に対するペナルティは、違反の深刻度に応じて異なるべきであって、デュープロセス(適正手続の保証)による保護が、常に適用されるべきです。常習的な不正は、一般への開示や解雇すらも正当化されることがありますが、散発的な不正の場合には、正式な戒告で許されることもあります。

すべての歴史家は、知的なインテグリティの高い基準を遵守する責任を共有しています。出版にあたって原稿を査読する場合、書評をする場合、採用・昇格・テニュアの付与にあたって同僚を評価する場合においては、学者は、歴史家が誠実に信頼できるやり方で一次資料や二次資料を用いているか評価しなければなりません。学問は、開放性と誠実性の雰囲気の中で発展するものであり、その中には、学術的な不正に対する審査と公の場の議論が含まれるべきです。

5. 指導

指導は、歴史学の実践における基礎です。それは、教室だけでなく、博物館や、歴史的な遺跡、ドキュメンタリーや教科書、新聞記事、ウェブサイトや、ポピュラーヒストリー広く一般に向けて書かれた歴史。しばしば小説やテレビ番組といったメディア上でも表現される。においてなされています。最も広い定義としては、指導というものには、歴史に関する知識について、それを有していない人々に伝えることが含まれます。教室の中か一般の場でなされるかにかかわらず、それは過去が、現在においても生きている記憶の一部であり続けていることを確認するという不可欠な作業を行うものです。

良い指導とは、事実についての情報を伝えるにあたり正確性と厳格さを伴うものです。そしてこうした情報を常に文脈の中に置いて考えさせることで、より大きな重要性を伝えるよう努めることです。指導におけるインテグリティとは、公正さと知的な誠実さをもって、競合する複数の解釈を提示することです。そうすることが最も重要な指導の目標の1つを達成することにつながります。その目標とは、はじめて新たな歴史上のトピックに遭遇した者の関心を刺激し、歴史とは生きた探求のプロセスであり、すでに受容された事実の活性を失った集まりではない、という気づきに導くことです。

歴史の教師の政治的、社会的、宗教的な信条は、自らの仕事に対して必然的に情報を与えるものではありますが、そのような信念を有して表明するという教師の権利は、偽造・不実表示・隠蔽、または学習科目に関係のない資料の執拗な押し付けを正当化するものには決してなりません。さらに、教師は、学生やその他の聴衆が、与えられた解釈や見地について同意しない権利を有していることに留意するべきです。学生は、複数の原因や異なる解釈について認識できるようになるべきです。学習する歴史のトピックの範囲で、意見の道理にかなった相違を自由に表現することが、常に目標であるべきです。教師は、実力のみで学生の成果を判断すべきです。

コースの提供、教科書や、一般向けの歴史の公演については、人類の経験の多様性について取り上げるべきです。その際、歴史的に正確であるためには、個人や文化の類似と相違、ならびに社会が進化してきたグローバルな歴史の文脈の双方に対しての配慮が求められていると認識すべきです。アメリカ歴史学協会は、大学と一般の場におけるハラスメントや差別について対策を行うための教育上および一般向けの歴史に関する活動を公式に奨励しています。これにより、そうした事件に対して厳しく発言するように場の管理者に対して奨励しています。同時に、同協会は、口頭または書面かといったコミュニケーション手段にかかわらず、自由な発言を制限したり罰する取組みについては、強く否定します。私たちは、発言の自由(表現の自由)についての修正第1条を強く支持しており、同時にこの権利を行使したため個人が受けることがあるハラスメントや中傷について非難しています。テニュアは、学術的な表現の自由への権利を保護するために存在しており、その権利がないと、指導や学術調査研究について、枷をかけられ不十分な結果となるでしょう。

6. 一般の場での歴史学

過去についての解釈が、一般の場における民主的な討論や市民生活にとって非常に欠かせないものであることから、歴史家は、現在における関心事や論争(過去の事象に関する現在の論争を含む)について、自らの知識が何を意味するかを議論する機会を常に持っています。我々がどこに雇われているかに関わらず、広く一般に対して歴史的な洞察と解釈を共有することは、私たちの専門家としての特権の1つです。私たちは、そうするための機会を歓迎するべきであり、歴史家を雇用する機関は、私たちの仕事についてのこの側面の重要性を認識するべきです。歴史家は、その信条や活動を理由として、機関の中のまたは専門職としてのペナルティを受けるべきではありません。ただし、それは、歴史家が、勝手に自らの機関や自らの職業団体を代表すると偽っていないことを前提とします。

一般の場で歴史学を実践することは、重要な課題をもたらします。なぜなら、歴史家が広く一般の人々に向けてコミュニケーションをするにあたっては、歴史家は、特定の解釈や事実だけでなく、歴史という分野そのもののベストプラクティスを表現しなければならないからです。これは、つまり、歴史家が、特定の見解を提示するという欲望と、歴史家としての専門職の権限を支える基準や価値を支持する責任とを均衡させるという綱渡りを必然的に行っているに違いないということです。こうした課題は、その日常的な業務生活において複数のレベルの説明責任を求められる公共性を帯びた歴史家にとっては、また、アドボカシーの役割で業務にあたる歴史家にとっては、特に複雑となる可能性があります。

複雑な歴史の問題について一般の場での議論を行う場合には、必然的に、こうした問題に関連する多くの専門的な詳細を言い換えたり単純化したりすることになります。同時に、その関連する複雑さや多様な見解について、少なくともその一部を提示することになります。一般市民と自らの見地を共有することは歴史家にとって完全に受け入れられることであると同時に、歴史家は、過去について、偏見に囚われない、含みを持った、責任ある解釈を構築するために、歴史の専門職が証拠を主張にどのように結びつけているかを示す努力をすべきです。アドボカシーとしての成果を得たいという希望が、歴史上の記録、またはその記録を解釈するための専門的な批判の方法を偽装する誘因となることは決してあってはなりません。

公の分野(政治アドバイザー、専門家証人、社会的影響力のある知識人原文では public intellectual。、コンサルタント、議会の証人、ジャーナリスト、もしくは、コメンテーターとして)にたまにしか関わらない者についても言えることですが、政府、企業や非営利団体において働く歴史家は、プロフェッショナリズムと党派性のどちらを優先するかという選択に直面することがあります。彼らは、他の熟練の専門家に対して助言を求め、心構えをする必要がでてくるかもしれません原文では may want to prepare themselves。。彼らは、歴史家の立場として、歴史の複雑性、歴史の解釈の多様性、自らの見地や経験、そして歴史学そのものの限界と強みについて敏感でなければなりません。こうした状況においては、歴史家は、細心の注意を払って資料(他の学者の成果を含む)を用いなければならず、その研究における方法と前提条件、証拠と解釈の間の関係、および言及する対象についての代替的な解釈を説明する準備を常に整えておかねばなりません。

7. 雇用

米国歴史協会は、歴史家の任命、昇格および労働条件に関するすべての決定における公正とデュープロセスを断固として支持しています。機関は、雇用慣行について定める公表された規則を発展させていくべきであり、言うまでもなくその規則を遵守するべきです。

一部の歴史家は、個人事業主ですが、ほとんどの歴史家は、教育研究機関、企業、政府機関、法律事務所、文書館、歴史に関わる学協会、博物館、公園 、歴史保存事業や、その他の機関に勤めています。被雇用者が職場の方針や実践に対して影響を与えることができる範囲において、雇用条件の平等を保証する規則を承認して実施するように、その雇い主の機関を説得するために可能な全てのことを行うよう、AHAは歴史家に奨励しています。歴史家が教育研究機関に勤めている場合には、歴史家は、米国大学教授協会(AAUP)、米国教育評議会、および大学理事会協会が共同で策定した、1966年「大学の統治に関する声明」を受け入れるように促すべきです。

公正さは採用から始まります。歴史家は、歴史分野における雇用機会が広く公表されていること、ならびに、専門職として資格を有する者全員が、そのポジションについて競争に参加する平等な機会を与えられるよう、可能なことすべてを行う義務を負っています。これは、適切な出版物(たとえば、AHAのニュースマガジン『歴史の見方(Perspectives on History)』)で求人通知を行うことだけでなく、そうした通知において、ポジション自体やそのポジションの継続性に影響を与えうる予算またはその他の不確定要素について完全に正確な記述を含めることを意味します。機関は、(たとえば、指定していない小さな分野を好むといった)一部の候補者が他よりも有利となる資格や特性の記述を省くことによって候補者になりうる人を欺いてはなりません。雇用主が、職務記述書や選考基準を変更することを決定した場合には、機関は、広告を再度掲載するべきです。AHAは、ポストドクターのフェローシップやその他のポジションについて機関が申請料を請求することに、強く反対します。なぜなら、これらの行為は、経済的に裕福でない候補者を差別することになるからです。

また、公正さは、すべての適格申請者を平等に取り扱うこと、また、すべての申請者に対して配慮のある手続をすることも含んでいます。たとえば、雇用主の機関は、すべての申請についてただちに承認するべきであり、実務的に可能な限り早く、選考基準を満たしていない申請者に通知を行うべきです。同様に、競い合っている申請者に対して、選考の進捗について常時、情報を提供し、検討対象から外れた者に対してはただちに通知するべきでもあります。そして、適切な場合には、面接の設定にあたって最終候補者に便宜を図る(費用の支払を含む)ためにできる限りのことを行うべきです。最後に、面接者が候補者の尊厳に対して敬意を払い、そのポジションに必要な資格についての質問に注力し、連邦・州の差別禁止法に違反する質問を避けることで、専門職の基準を遵守するように機関は保証すべきです。

雇用上の決定は、常に、判断を伴います。しかしながら、連邦法において認められた特定の優先事項を除き、機関は、再任、昇進、テニュア、インターン、大学院生の補助業務、褒賞、およびフェローに関する採用の決定ならびに、すべての決定にあたっては、専門職の資質についてのみを基準とするべきです。人種、肌の色、出自国、性別、ジェンダー、ジェンダーの表明、ジェンダーアイデンティティ、性的指向、婚姻区分、家庭状況、宗教、政治的関連性、退役軍人であること、年齢、もしくは、障害の有無は関係ありません。口頭での採用通知の後に、遅滞なく、書面の契約を行うべきであり、機関は、かかる契約の条件についてできるだけ明確に説明する義務を負っています。署名がなされ次第、契約については、法的義務と倫理的義務の双方として全ての当事者により遵守されるべきです。雇用主は、雇用と昇格について定めるすべての規則ならびに条件を明確にする義務を負っています。

いかなる者も、専門職としての成長と昇進に必要な、専門職としての敬意と支援を受ける権利を有します。そうした敬意によって、およそ専門職たりえない基準に基づく不平等な取扱いがなされなくなります。特に、ハラスメントや差別がなされなくなります。これらは、非倫理的、非専門職的で、知的な自由に対する脅威となるものであるからです。ハラスメントには、教育または仕事の場での、権利、便益、環境もしくは機会について特定の個人がそれを十分に享受することを妨げたり奪ったりするすべての行動が含まれます。たとえば、 一般的な軽蔑発言や行動、もしくは、専門職としての権限を用いて特定の個人のアイデンティティを不当に強調するといったことがこれに該当します。セクシャルハラスメントには、不適切な性的行為の要求、歓迎されない性的接近原文では sexual advances。や、性的暴行が含まれますが、これは、違法であって、専門職基準に違反します。セクシャルハラスメントには、また、非専門職的で非倫理的な行動が含まれます。つまり、誰かについて意図的に本人とは別の性別で表現すること、ある人の希望する代名詞の使用を拒絶することや、職場においてある人の性自認や性的指向について不適切に言及することなどです。

歴史家が、昇格や、業績に基づく昇給を受けるのは、専門職としての資格と業績にのみ基づくべきです。こうした基準が用いられるように保障するための最善の方法は、明確な基準と手続を定め、機関の全メンバーに対して周知することです。機関は、確立した審査手続きを定めるべきであり、業績について証拠を示す機会を昇格や業績に応じた昇給の候補者に与えるべきであり、降格や減給の決定について早期の具体的な通知を行うべきであり、不服審査の仕組みを設けるべきです。

歴史家にとって特に重大な関心事は、懲戒処分につながる機関の決定であり、最も重要なのは停職と解雇の問題である。なぜなら、これは、知性の自由の問題にかかわることがあるからです。歴史家を雇用するすべての機関は、懲戒処分の運用手続を明確に書面で定めて、これを遵守するべきです。こうした手続は、事実認定の適切な仕組みや不服審査の手段などを含む形で、デュープロセスの原則を具体化したものにするべきです。学術機関は、AAUPの 「学問の自由とテニュアに関する声明(単に「1940年声明」 とも呼ばれる。原題は “1940 Statement of Principles on Academic Freedom and Tenure”)」を遵守するべきです。その他の機関でも、専門職としての歴史家を雇用する場合は、デュープロセスについての同等な基準を定めるべきです。

非常勤、ならびにテニュアでない歴史家は、常勤職員が行う作業を負担した場合には、その割合に応じた手当を受領するべきです。なお、これには、常勤の同僚が利用可能な相応のフリンジ・ベネフィット詳しくはこの文書などを参照のことの配分が含まれます。また、それらの者には、機関の施設や支援制度の利用権を与え、および適切に機関の運営に関与できるようにすべきです。

8. 名声と信頼

歴史家は、すべての文脈において、正確かつ正直に、自らの資格を提示する義務を負っています。歴史家は、履歴書、申請書または公的記録において、自らの資質について誤った表示をしないように注意を払うべきです。歴史家は、その専門職において歴史上の記録に適用されるものと同じ厳格さとインテグリティをもって、自らの実績を説明するべきです。

制作過程に依然としてある書籍、論文またはその他の出版物の制作段階は、選考委員会、テニュア・昇進の審査委員会や、フェローシップ選考委員会において重要な情報となることが多いものです。しかしながら、この専門職においては、制作途中の出版物についての、標準化された用語がありません。そのため、そうした制作段階が不明確となることが多いのです。AHAは以下の用語を提案します。

「印刷中(In Press)」:原稿が校了した状態であり、執筆者の手を離れている。制作過程の最終段階にある。「近刊(Forthcoming)」:完成した原稿が、出版社または雑誌によって受理されている。「契約済(Under contract to …)」:制作中の書籍について出版社と執筆者が契約を締結済みであるが、最終原稿は、まだ提出されていない。「提出済(Submitted)」または「出版社により検討中(under consideration)」:書籍または論文が出版社もしくは雑誌に提出済であるが、出版契約は未締結であり、出版の合意もなされていない。歴史家は、自らの履歴書の中で達成済みの業績として、自らが得ていない学位または称号について、自らがついていない職について、自らが執筆または発行していない論文もしくは書籍について、またそれらに相当するような、独創的なまたは専門職としての成果を偽装するような表示を、記載するべきではありません。

歴史家は、自らの専門職としての職務の遂行過程において生じ得る利益相反にも留意するべきです。 利益相反が生じるのは、個人が有する個人的な利益または偏見が、専門職の道徳的な義務に従って行動する能力を損なう(もしくは、損なうように見える)可能性がある場合です。歴史家は、何らかのピアレビューに参加する際に、こうした状況に遭遇することが多いものです。たとえば、補助金申請を審査したり、出版用の原稿を精査したり、年次会合プログラムの提案を評価したり、賞PrizeとAwardをまとめて賞としている。の選定をしたりする場合です。歴史家は、利益相反ないしそのように見えるものが生じる、あらゆる決定またはその他の行為を特定して、適切な場合にはそれを避けるべきです。歴史家は、自らの専門職上の道徳的な義務を犠牲にして経済的な利益を得るもしくはそのように見える可能性がある状況を避けるべきです。歴史家個人は、私的な義務感、競争心もしくは敵対感を感じる者の成果について、正式な審査に参加することを基本的に拒否するべきです。

9. 追加のガイダンス

この『専門職の行動基準書』は、歴史の専門職における中核的な価値観と実践に関する一般的なガイダンスを提供するものです。この種類の文書は、網羅的なものにすることができないために、AHAは、本基準書については、正式な方針宣言が必要であると思われる一般的な懸念を有する新たな問題が生じた場合にのみ、改正するものとします。

専門職としての歴史家の間の倫理およびベストプラクティスに関する追加の助言については、読者は、AHAの他の宣言書および出版物を参照してください。AHAのウェブサイトには、容易に閲覧可能なベストプラクティスの声明や助言文書原文では wise counsel documents。もあります。

複数の他の歴史協会の出版物からも、有益な知見を得ることができます。たとえば、「全米パブリックヒストリー協議会の倫理ガイドライン」(Ethics Guidelines of the National Council on Public History)、「米国州・地方史協会の専門職の基準と倫理の声明」(Statement of Professional Standards and Ethics of the American Association for State and Local History)、「オーラルヒストリー協会の評価ガイドライン」(Evaluation Guidelines of the Oral History Association)、「連邦政府史協会の連邦史プログラムのための原則と基準」(Principles and Standards for Federal Historical Programs of the Society for History in the Federal Government)などです。

私たちは、すべての歴史家に対して、細心の真摯さをもって、自らの専門職としての責任を支持し護るとともに、歴史の専門職としてインテグリティと公平性を唱え、また高い基準を掲げていくように奨励します。